僕 と 父 と 声

魔法の声 声はボールだった

父はスポーツが大好きだった。
父のもとで勉強したいという人が来ると、
まず「走っとけ」と言う。

父の奏でる3つの和音にもその絶対的な性格があった。

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お弟子さんの中には、バイオリニスト、チェリスト、管楽器奏者も多数いた。
彼等はずっと楽器奏者として訓練をしてきた人たちだ。

運動とはほぼ縁がなかったであろう。

そんな彼等に

「そんな融通が利かない身体でどうやって音楽をやると言うんだ、走っとけ!」

「もっと、力を込めて緩めろ!」

とお決まりのフレーズだった。

夏だったと思う。父からキャッチボールを教えてもらった。
ボールを投げるだけではなく、ボールのスピード、飛んでいく曲線、距離をイメージして、

声を一緒に出せと。ボールはそれ通りに飛んでいくからと。

それは嬉しいほど思い通りだった。

スピード、曲線、距離。声とボールは一致していた。
声によって色々なボールを飛ばすことができる。

僕はこの遊びが好きだった。

男子ハンマー投げの室伏広治選手が黙って投げていたら、彼はゴールドメダリストとしての今があっただろうか?

僕は、今でもうたを歌いながらキャッチボールしている。

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振動と一等賞

よく運動会が嫌いだったという奴がいる。
僕は大好きだった。

石灰にまみれた白いほこりの中を騎馬の音楽とピストルのスタート合図が心臓の鼓動を早くする。

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その気持ち良さは今でもなぜか残っている。
大人にとってはイベントにすぎないかもしれない。

しかし、子どもにとっては身体を張っての真剣勝負。

100メートル走個人が始まる前の休憩時、父と国旗の下で待ち合わせをした。

いつも勝負前にハグをする。
父はハグをしながら胸の振動だけで

「お前の思うようになる」とゆっくり僕の胸に伝えてくれる。

言語ではない、でも音だけでもない。なぜかこの得体の知れないものが身体を走る。

1位を取った。

思うようになった。

おしっこが出そうなほどの緊張も、遠いゴールへの不安も、
ビッシリと詰まった観客席からのどよめきも、
なぜかその振動が洗い流してくれていた。

ハグは抱きしめるだけではダメだ。
抱きしめ、骨から骨へ振動を一致させる。

人に力を与えるということは振動からの覚醒のことを言う。
僕は今でもその神秘を探っている。

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絵本は声に出して読もう

僕は好きな絵本が多い方かもしれない。
僕の家には、絵本がとにかくたくさんあったからだ。

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父がレッスンで使っていた絵本たちだった。
日本だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、ギリシャ、オランダ、
アフリカなど世界の絵本が山のように積んであった。

ある時、僕が椅子に座って絵本を見ていた時だった。
父が「声に出して読んでごらん」と一言言った。
最初は照れくさくて、字を一所懸命追っていた。
でも、だんだん読むにつれて寂しくなったり、
嬉しくなったり、寒くなったりすることに気づいた。

読書とは違う感触を覚えた。

絵本は声に出して読むとストーリーを肌で感じられる。
それが今、ボディリーディング(※)という形に
なっているのかもしれない。

絵本は声に出して読もう。
譜面だけ見ていてもその曲は伝わらない。
声にしてうたわなきゃ。

「おさるのジョージ」シリーズは今でも僕の生きるバイブルです。

※ボディリーディング・・・Breavo-paraのレッスンプログラムの呼び方で、
朗読を中心として行うレッスンのことを指している。

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響きとリズム

父のお弟子さんには楽器奏者が多くいた。特にピアニストが多いことで有名だった。
父は歌い手だ。なのになぜピアニストが多いのか不思議に思ったことがあった。
その答えはすぐにわかった。
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僕が小学生の頃、よく父がピアノを教えてくれるようになった。
普通、日本でピアノ教室と言えば、バイエルそしてツェルニーというお決まりの教則本が存在する。

左手はこう、右手はこうという運指の練習のために作られたものである。
父は全くそれを使わなかった、いや、その教則本さえ存在していなかった。

父は好きな楽曲を持ってくるように誰にでも伝える。
そして、その楽曲の持っているリズムをげんこつでピアノを叩かせる。
徹底的にその曲のリズムだけを繰り返す。 当然、音は不協和音が鳴る。
そのリズムの中に感情や情景を徹底的に押し込む。
腕を通してカラダにそのリズムが染み込まれていく。
ようやく染み込んだところでやっと運指が始まる。
リズムが染み込んでいるので音楽の持つ躍動感や感情が一気にできあがる。

「日本の音楽教育は音符から始まるから面白くないんだ」が口癖だった。

ピアノの響きも圧倒的に違う。
うたで例えてもそれは全く同じ事だ。喉の声でいくらうたってもリズムは感じてこない。

しかし、響きでうたうと自然にリズムが生まれてくる。面白いものだ。

声のいい人の話しはとても軽やかさを感じる。
それはリズムがあるからだ。まずは感情を掴む。

それから綺麗に整えていく。音楽だけの話ではない。

ただ話をしても何も面白くない。
そこに響きのリズムがあるからこそ立体感や躍動感が生まれてくる。
譜面やテキスト、マニュアルは地図に過ぎない。そこにリズムがあってこそ生命を感じるものだ。

響きとリズム。それは生きる力を感じさせてくれる。

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エンジン音とひとつになれ

父は乗り物が好きだった。自動車、飛行機、船、新幹線。
旅の多い生活だったからであろう。
よく父は僕を車に乗せて遊びに連れて行ってくれた。
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今でも思い出すことがある。父は車に乗るとエンジン音と同じ響きを出す。

僕もそれは得意だった。
エンジンやモーターは一定の周波数を持った音を出す。その音色が心地よい。

父の愛車は日野コンテッサ900。今や誰も知らない車かもしれない。
日野とルノーが組んで開発した。日野自動車唯一の乗用車である。

真っ赤なセダンで、なぜかハッピーな気持ちになれる車だった。
父はその音が大のお気に入りで、「イタリア人」の声に似ていると話していた。
少し高めの音で、踏み込むと更に高くなっていく独特の癖を持っていた。
父と僕はコンテッサと同じ音を胸に響かせて走るのが常だった。
乗り心地など二の次、車は音だ。

そんな生い立ちを持つ僕は移動中いつも乗り物の音を聴く。
そしてその音とひとつになるように密かに胸に響かせる。
気づかれてはいないと思うが妙な奴かもしれない。

僕が好きな乗り物の音は、JRあずさ(新宿〜松本間)とセスナスカイホーク。
自分の音域と合うのかもしれないが、喉のウォームアップには最適な響きと振動である。

コツはひとつ。 その乗り物の音程を掴みハミングすればいいだけである。
歌う前、プレゼンの前など、
移動を利用して喉を緩めるのにもってこいである。

エンジン音の小さい乗り物など乗り物じゃない。
エンジンはしっかりと自分を発信すればよい。 人間も同じ。
自分のエンジン音を出して生きていく。そうすれば動き出す。

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