楠瀬誠志郎

声はすべての人へのギフト。
響きで感動させられるようになれば、
必ず生きる力がついてきます。

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音楽プロデューサー/発声表現研究家/作編曲家/シンガー
Breavo-para主宰 楠瀬誠志郎は、日本におけるヴォイストレーニングの草分け的存在、楠瀬一途(声楽家・著作に「ヴォイス・トレーナーの発言」楠瀬一途著カワイ楽譜 1971など)の長男として生まれ、幼少の頃より、ヴォイストレーニング・発声学を学びました。1981年より数々のプロシンガーのトレーニングにあたり、1986年CBSソニー(現Sony Records)より「宝島」でデビュー。TBS系ドラマ「ADブギ」主題歌「ほっとけないよ」、TBS系ドラマ「ぽっかぽか」主題歌「しあわせまだかい」が大ヒット。これまでに19枚のオリジナルアルバム、24枚のシングルを発表。聴く人を優しくあたたかく包み込むヴォーカルは”天使の歌声”と評されています。また、郷ひろみのヒット曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」など楽曲提供したアーティストは沢田研二、SMAP、工藤静香など多岐にわたります。2000年、Breavo-paraの前身となるボイストレーニングアカデミーAcademyof INTERNALCUBeを設立。アーティストとしての活動の他、現在も東京・表参道のレッスンスタジオで「表現」の素晴らしさ、楽しさ、気持ちよさを伝え続けています。

Interview

ーシンガーをされていらっしゃる誠志郎先生が、ボーカルスクールではなくボイススクールを立ち上げられたきっかけからお聴かせください。

ずっと父がクラシックの歌い手で、オペラ、ミュージカル、ソロで歌を歌ったりするのと同時に、発声法を長年研究していました。クラシックの世界は当時、芸大を卒業したとしても仕事はないんです。イタリアに飛んでコンサートを数多くこなして、コンテストに受かって日本に帰ってこないと、なかなか仕事がないという時代でした。厳しい世界だったんですね。

父もそうやってコンテストで賞を取って帰国して、言った言葉が「イタリア人の発声法を日本人がやったら、日本人の歌手はダメになる。あの発声はイタリア人だからできることで、東洋人が真似しても、絶対イタリア人には勝てない」と向こうで痛烈に感じたらしいんですね。

ー日本人とイタリア人の発声法は異なると?

そうです。「東洋の人間には、東洋の人間の声の出し方があるはずだ」ということを学んで帰ってきたんですね。そして、お医者さん、免疫学の博士と一緒に父は日本人の声と言語が綺麗になる、日本の伝統を守れるような声の出し方研究を始めました。

声帯が太くて大きいイタリア人やドイツ人たちと、東洋人は違うんですね。小さくて、もう本当にか弱い声帯の東洋人に、イタリア人の「ドォーン」といういきなり頭から力強く降り注ぐような発声は日本人には無理だ、と。

ー確かに街で聴こえてくる西洋人の声質は、まったく別物に感じます。

その響きも音楽的には素晴らしいけれども、日本人はもっと違うところに美意識があると父は感じたんでしょうね。「小さい声帯でもドイツ人やイタリア人とは違う発声法はどうすればいいのか?」ということを苦労して苦労して考えて行き着いたのが『響き』だったんです。声帯の力ではない。身体を振動させるという発想に父はシフトしたんですね。

ー「声帯ではなく身体から」という発想は、今お聴きしても新鮮ですね。

そうかもしれません。僕は長男なので、研究サンプル人体実験なんです。「これはどうだ、これはどうだ」と父のアシスタント・助手として、興味もありましたからレッスンを受けていました。当時は中学生でしたが、同じように父のレッスンを受けた人の声が変わって、顔色も変わり、「さっきのお兄さんが何でこうなるの?」と、もう魔法に見えました。僕は人体実験されながら、一年ぐらいかけて父から毎日受けていたことが「これはちがった!」みたいな、そんな日々でしたね(笑)

ー誠志郎先生のお父様はもともと、日本の言葉の伝統を継いで行きたいという思いもおありあったのですね。

その通りです。日本は、大きさとか力じゃない。そういうところにはない力が、日本にはある。それを直感で感じたのだと思います。

ーその力とは、響きの繊細さだったりするのでしょうか?

そうでしょうね。日本は、目に見えないものをすごく大切にする国だと思います。イタリアとかドイツは太陽の歌が多いです、赤い太陽の下で歌うような。一方で日本は、圧倒的に月の歌の方が多いのです。月のほうに美学を持ちます。その違いが良い、と父はよく言っていました。

ー外国人の方の重低音ボイスが羨ましいなと思ったりもしましたが、日本人にはまた全然ちがう魅力があるということなのですね。

日本人は、言わずしても分かる、言葉にしなくてもつながる、という独特の文化を持っています。それは僕も好きなところではありますね。

ー誠志郎先生ご自身が、教える立場になったきっかけは?

24才で音楽の世界にデビューした時に父が他界をして、その時に父が残した言葉が「これは、役者やシンガーだけのものではない。すべての人がこれを学ぶべきだ。誠志郎がやりなさい」でした。これが父の最期の言葉で、次のステージに昇って行ったんですね。僕が24才の時で、それは戸惑いました。まだ音楽の世界でデビューしたばかりですし、ただ声の力を信じていましたし、自分の声が変わったのも父がいたからです。しばらく戸惑った後に「40才までは音楽の世界を走る。40才になったら父の後を継ぐ」ということを自分の中で決定しました。

ーそれは大きな決断でしたね。

24才から30代まで一気に走って、40才になった誕生日の時に、片手間でできることではなかったので、パキッと一回お休みを取りました。その2000年にブレイヴォーパラの前身になるアカデミーを始めたんです。2006年頃にもういけるだろうと思って、アクセスが抜群でどこで働いていても、どこからでもすぐに飛び込める場所はどこだろうと考えて、表参道にスタジオをオープンさせました。

24才で決意されて40才で実際に本格始動されたのですが、途中で辞めておこうと思われたことはありますか?

それはなかったですね。逆に40才になったらそうなると分かっていたことがすごくパワーになっていました。それがあったおかげで頑張れたし、一歩を踏み出せました。

ー世の中にある声の学校はボーカルやビジネスマン向けが多い中で、ボイススクールですべての人に届けたいと思った理由は何ですか?

「なんで僕たちはみんな、声を持っているのか」ということが大きく一つあります。その声に関して父にはものすごく教育されました。「おはよう」とか「おやすみ」とか「おはようございます」と父に言っても、「おはようございますの声じゃない」と怒られましたし、「いただきます」と言ったら、「それはいただきますの声じゃない」「おやすみなさいってそういう声じゃない」という、言語と音のズレを教育されました。

ー幼い頃から、そんなに厳しい教育だったのですね。

「ありがとうの声はそれじゃない、おはようの声はそれじゃない、それでは誰もおはようなんて思えない」そうやって育ってきてしまったので。「おはよう」とか「おやすみ」とか「ありがとう」は、すべての人が使う言葉です。すべての人が、みんなが心からそう思える声があるはずだと今でも思います。時々悲しいかな、それがズレている人も多いですよね。

ーお話をお聴きして、自分も全然できていないなと思いました。

みんなきっと、言語で分かっていると思ってしまうからですよね。そういうものだと思います。だけれども、言語でそう言っていても、相手はその言語の情報だけで、一緒に「今日も一日よかったね」と思えているかはどうだろう?というところですね。

ーほとんどの人が出来ていないのでは、という気もしてしまいますね。

それは才能とか天性のものではなくて、誰でも出来ることだと思うんです。誰でも出来ることなので、それをいい声で「おはよう」が出来たら、もっと世の中の朝は変わるでしょうし、もっといい声で「おやすみ」と言えたら、もっと良い睡眠をみんなとれると思う。そういうところから、世界を変えることは出来ないけれども、人の思いを変えることなら声の力で出来ると思うんです。だからこれは役者とかシンガーだけのことではなくて、社会で生きている人間すべての人のことだと思っています。

ー会社でも本当に「おはよう」や「お疲れ様」という気持ちが込められた響きにみんながなっているかというと、なかなか少ないかもしれません。

その朝のスタートを爽やかに心地よく、頑張って外から帰ってきた人間を声でねぎらってあげられたら余分なことを話さなくても、声の力で人間関係は変われるところもたくさんあると思います。

ーコミュニケーションは言葉の意味の交換みたいに考えがちですが、もっと大切なのは声の響きで思いを届け合うことなんですね。

言葉がいちばん大切だと思います。でもそれだけではコミュニケーションとは呼べないと思います。

ーブレイヴォーパラという名前に込められた思いをお聴かせください。

響きにとって一番大事な三大要素ですね。「Breathing」は呼吸、「Vocalization」は発声法ですね。そして「Parasympathetic」は副交感神経という、その人の感性を秘めている部分ですよね。その頭の文字を当てたのが、ブレイヴォーパラという名前です。

ー誠志郎先生は、普段はパラでどのようなお仕事をされていますか?

声というものに初めて興味を持たれた方の体験クラスを担当しています。

ー初めて来られる体験クラスには、どのような方が多いですか?

本当はこうしたいけど声が出なくて毎回同じ繰り返しをしてしまっている、能力を持っているのに、そこから一歩先に行くのにはどうしたらいいんだろうと悩まれている方や自分の声が嫌いでとおっしゃる方が多いです。

ー声に悩んでいた方がレッスンを受けて声に自信を付けていかれて、さらに上のクラスを作られた理由は?

声は一定の期間で変わります。大切なことは声が変わってから自分は何をしたいかです。自信を持てるとそこにビジョンが生まれます。そこから自己表現の楽しさと自由が生まれます。社会の中で生きていて体感できないコンテンツに触れてみる事が大事だと思います。そのコンテンツが「歌」であり、「ボディリーディング」という自己表現メソッドです。上のクラスというよりも進化における自然な流れだと思います。

ーボーカルスクールではなくボイススクールに来たはずなのに、自分も歌うんだ!と少しびっくりしますよね(笑)

声という概念だと「話す」「歌う」というふたつの道が生まれてしまうのですが、「響かせる」という概念は「話す」も「歌う」もひとつとなります。最初は「私は歌なんて、、、」という方が1年後にはとても気持ちよく歌われています。その姿を見られるのはとても幸せな瞬間です。感情を綺麗にするという意味で「歌」は多くのことを教えてくれます。

ー私も体験会に参加させていただきましたが、確かに声のイメージがガラッと変わりますね。

体験会で「大切なのは声じゃなくて響かせることなんだ」と気づいていただければ嬉しいです。

ーしかもたった一回の体験会で、声の響きが劇的に変わる感じがしました。

みなさん変わりますよね。

ー誠志郎先生が、レッスンで受講生に持ち帰ってほしいことは何ですか?

愛すること、かな。自分を愛すること、相手を愛すること、それを持ち帰ってもらいたい。

ー「知らないうちに自分を認め始められています」と、ある受講生もおっしゃっていました。

それが愛するということだと思います。

ー個人レッスンではなく、仲間と声を出し合うレッスン形式にはどんな理由があるのですか?

仲間と一緒だとグループの響きの特性を活かせます。奇数でのレッスンがすごく良いんですよ。5人いて3人声が出たら、僕らインストラクターが何もしなくても、あとの2人は自然に出るようになるんです。響きの振動はそういう伝播の仕方をしますから、声とは少し違う特性を持っています。

ー誠志郎先生が理想的なレッスンができている時、スタジオの空間はどんな状態でしょうか?

言葉ではとても難しいのですが、自分も受講生の方もない空間かな。

ー壁一面の鏡もピカピカですよね。

レッスンの転換時にインストラクターが一斉に取りかかります。自分を正すような空間で、鏡が汚れていたら、なかなか自分を出しづらいと思います。細胞のレベルでここなら安心できると感じられないと、声の響きは出てくれません。

ーパラのドアを開けると森に来たような感じで、自分の中に風がファ~と通り抜ける感覚がありました。

嬉しいお言葉です。森の中の声の学校Breavo-paraというコンセプトをうたっています。森は響きの宝庫です。鳥たちの声、葉の擦れる音、清流の清々しい音、虫たちのささやき。すべてが振動、響きで交信をしながら成り立ちを維持しています。今、現実社会が学ばなくてはならないものが森にはあるような気がします。

ーこれまでは「言葉があって、響きがある」という認識だったのですが、実は「響きが先にあって、言葉にして届ける」のかなとお話を伺って思いました。

そもそも同居しているものですよね。その響きと言葉がピタッと一致した時に、聴く人の中に飛び込んでいきます。

ー誠志郎先生が歌を創られる時は、作詞ではなく響きから?

響きです。メロディーから創ります。しかし、言語があったほうが分かりやすいし、早いし、みんなに平等に届けられるので、響きだけはやはりダメですね。そこに言語が乗ってこそ、みんながつながれます。響きで心を打つことはできても、言語がないとなかなかつながることはできない。それはやはり言語があって、生まれることだと思います。

ー誠志郎先生にとって、「声」とはどういう存在ですか?

声は、自分の本質を細胞レベルで明らかにしてくれるものであり、すべての人へのギフトだと思います。

ーギフト、ですか?

捧げるものですね。

ー「おはようございます」や「おやすみなさい」も?

捧げるものですね。ギフトであれ、といつも思います。

ー声はよくコミュニケーションのツールみたいに言われることが多いですが?

もちろん、コミュニケーションのツールだと思います。大切なのはコミュニケーションの真の意味だと思います。

ー最初はコミュニケーションのツールだった声が、通い続けるうちに“響きのギフト”に変わる瞬間がきっと来るんですね。

訪れます。自分の声で人を感動させられるようになったら、その人は生きる力を学び取ることができます。そうすると、すべての人に感動や喜びを贈ることができる。僕たちはすべての人に歓びを、感動を、生きる力を与えられると思っています。自分の中で成立するには、まず自分で自分を愛する。それを出してつながれることに、歓びと感動がある。そして感動する人には必ず生きる力がついてきます。

ーそのような響きのレッスンを続けてこられて、これは嬉しかったなという出来事はありますか?

自分にとって一番嬉しかったのは、音楽の世界では出会えない人たちと出会えることです。

ー例えばどのような人たちですか?

会社で働く方と出会えたことですよね。電車で通勤して、会社を支え、お休みを大事にする。こういう方たちがいないと僕らは生きていけません。音楽の世界には、優秀な舞台演出家やカメラマンはたくさんいます。それはそれで価値あることですが、それを見て聴いて買ってくださったり、感じてくださる方に出会えることは、ものすごい価値だと思います。教わることがすごく多いですね。「そこか!」と。

ー受講生から言われて嬉しかったことはありますか?

「自分を認めるきっかけになった」と言われることはとても嬉しいです。自分の声が嫌いで体験を受けた人が歌を歌い始める、そういった時なんか本当に良かったなと思います。声に悩んでいたけど、学び合って、声が出始めて、明るくなってブレイヴォーパラで結婚したご夫婦もいらっしゃいます。すごく嬉しいですね。

ー受講生たちの雰囲気はいかがですか?

受講生の雰囲気は愛おしいです。きれいですよね。年齢も職業もポジションもパラの世界ではないですから、細胞の集まった一個の生命体と考えていますから、すごく愛おしいです。

ーパラの受講生はみなさんが下の名前で呼ばれていることに驚きました。

声って本人のものじゃないですか。名字は家族がたくさんいるので、個で呼ばないと。個が大事です、響きは個から出るものなので。だから名字ではない所に、響きの真意は潜んでいるんですよ。楠瀬ではなく、誠志郎の中に個の音色が潜んでいるので、ずっと「楠瀬さん」と言っても出ないんですよ。だから、徹底的に名前で呼ぶんです。その方用に付けられた、生きていくエキスが入っているのは名前なので、名字で呼んでいたらダメです。日本の物語も、桃太郎も金太郎も下の名前でその人の力やキャラクターを作り上げていますよね。

ーところで誠志郎先生が休日にされるご趣味や特技は何ですか?

趣味は音楽を創ること、特技もそれを創り、歌い表現すること。天職なのでしょうね。僕は休みとか休みじゃないという、概念のない不思議な世界で生きています。今こうしていることも、平日なのか休みなのか、あまりそういう感覚がないですね。

ーいつ頃からそうなられたのですか?

子どもの頃からそうだったと思います。学校に行っていても、家にいても、サッカーをしていても、音楽をしていても、平日か休日か、夏休みか学校があるか、そういう所の壁がない。毎日が仕事なのかもしれないですし、毎日が休みなのかもしれないですし。

ーそれは誠志郎先生が常にニュートラルでいらっしゃるからでしょうか?

働いて土日休むという道を通ってこなかったからだとも思いますし、ニュートラルということもあると思います。一日というのは、小さな一生のような思いを持っているんですね。その一日で三十何万という細胞が死んでいきます。だから人間は毎日死んでいるんですよね。そこから影響された訳ではないですが、一日一生というのは思っています。

ーすごく良い言葉ですね。

平日だろうと休みだろうと、一生に変わりありませんし、それが集まっているものが人生だと思います。

ー誠志郎先生にとって、ブレイヴォーパラとはどんな存在ですか?

「自分の心の中」を現している存在です。

ー誠志郎先生にとって、響きは生きる上で大切なもの?

生きる力を与えてくれるものです。

ーその人らしい理想的な細胞の状態になると、響きもそうなって行く?

そうなって行きますし、響きを出すと、脳より先に、言語が浮かぶよりも先に、細胞の感性が喜ぶ。これが生きていく力の源になります。「なんか良い」と「なんか違う」というのは、何かあるのですよ。それを教えてくれるのは細胞ですね。もっともっと細胞に聴くことです。もっともっと細胞を勉強し、細胞を鍛えてあげることです。それは、ゆるめてあげないと、分からない。ゆるんで副交感神経が働いて初めて、細胞が元気になって、いろいろなことを感じていく。そしてそれが、響きに、生きる力となっていく。

ーだから、ブレイヴォーパラの理念は「すべての人に力を」。

その通りです。

ーパラにはどんな方に来てほしいですか?

すべての人に来てほしいです。愛の中で生きていきたい人、受講生を通して、響きを通して愛を感じ始めます。そういう愛の中で生きてみたいな、という人はぜひ来ていただきたいです。

ーパラのような存在はこれからますます大事になっていくと感じますが、今の時代だからこそ必要だというお考えもあるのですか?

そうは思っていないですね。最初からずっと必要なことだと思っていました。響きの意味は、そこにありますので。僕たちの中では何も変わっていないのですけど、世の中はどんどん変わってきています。段々、「そうかもしれない」と感じている方が側に集まってきてくださったのが、今だと思います。

ーこの感覚が大事だと気づき始めている方はきっと増えていますよね。

そうだと信じています。

ーパラの5年後、10年後のイメージはありますか?

「感情の自由と清浄」が大きな意義を持つ時代になると思っています。 そこで価値のあるものは何か、それが「アート」と「声(響き)」だと信じています。

イメージ=想い。「想えば、成る」です。