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青山 悌三さん

僕はラジオの仕事に40年近く携わってきた事もあり、音楽は勿論、 「人の声」には特別な関心を抱いてきました。 これまで、仕事を通して多い時で年間に230本以上のコンサート会場に 足を運び、そのシンガーの歌声に、そして歌心に酔いしれてきました。それだけに知らず知らずの内に「人の声」の魅力に興味を引かれて行ったのでしょう。また、ラジオの番組はパーソナリティーの存在は大きく、番組の内容の良し悪しまでも左右します。従って、パーソナリティーの声の管理には一際、気にもなり、新人には良くアドバイスなり、注意をして来ました。体調の変化が声に表れるのです。「声」は肉体から奏でる楽器・・・とは良く言ったものです。チョットした身体の変化にも如実に表れるのです。些かオーバーですが、番組のパーソナリティーは人の声で人に希望を与えたり、勇気を与える訳ですから、リスナーの人生に大きく関わって行く事にもなる訳で、責任重大です。

ところで、楠瀬さんと知り合うきっかけはFM番組の出演者(所謂、パーソナリティー)としてからです。勿論、それまでは彼が創作する音楽は無論、「声」にも興味と魅力を抱き、感じていました。声は正直です。美しい声には美しい心が宿る・・・のでしょうね。しかし、その時は一人の素晴らしくも、才能のいあるシンガーソングライターとして、またパーソナリティーとしての存在でしか見えませんでした。僕は以前から「声」と言うのは世界に存在するどんな楽器よりも素晴らしい楽器・・だと思っています。楽器は奏でられなくても、人間である以上、誰でも「声」と言う楽器は奏でる事ができるのです。人間、皆、平等に・・・・。そして、楽器にも打楽器があるように、美しいメロディーを奏でるだけが楽器ではありません。美しい声を出す事が「声」ではない・・と考えていました。

10年以上の月日が流れ、彼と再会した折り、彼がヴォイストレーニングスタジオを開設している事を知りました。しかし、最初は「単なるプロの歌手を目指す方へのヴォーカル教室・・」と思っていました。それは、すぐに裏切られました。そして、彼の声の魅力の原点がこの教室にある・・・と知りました。「声」の生命の源が、「声」本来の原点がここにある・・と知ったのです。

古い話しですが、歌手「坂本 九」さんは決して声の良い、歌の上手な歌手ではありませんでした。でも、日本人を初め世界の人々は彼の歌声に惚れ込みました。そこには彼、独自の「声」の味わい・・があったのです。その「味」が感動を呼び、「歌詞」を伝えたのです。所謂、聞く人と唄う人との間に「共感」と「感動」のコミュニケーションが出来たのです。

そんな「声」の原点の場がこの「Breavo-para」にあるのです。先ずは
「肉体から自然に声を出す事から・・・・」
「上手く唄う以前に、その人、個々に有する声を発する事から・・・・」
声を出す事で、単にコミュニケーションを図るだけではなく、人間の生命力を高め、声を出す事で「勇気」と「希望」を生み、それが「活力」となり、「自信」となり、人、本来の「声」として生まれ変わるのです。

些か、理屈っぽくなりましたが、携帯メール、PCメール・・・・と現代のコミュニケーションは「声」を失っています。それはややもすると「人間失格」ともなるのです。

もう一度、「人間」してみませんか・・・・・この「Breavo-para」で。

プロデューサー・演出家
青山 悌三

青山 悌三

1947年

5月23日 生

1970年

エフエム東京入社
放送部所属(現、制作)
■ 主な担当番組
「ジャズワークショップ」「POPs BEST 10」「音楽千夜一夜」「サウンドマーケット」「音楽ってなんだ!」「LIVE コンサート」「トワイライト・TOKYO」「DANCE SHIP TOKYO」「楠瀬誠志郎のノルソル」「サンデーミュージック」「プレミア3」「モーニング東京」「LOVE STATION」「山下達郎のサンデーモーニング」ほか

1992年

制作部 チーフプロデューサー 兼務
TOKYO FM音楽出版取締役就任

1993年

TOKYO FM音楽出版常務取締役

1997年

同 専務取締役
TOKYO FM取締役制作局長

2000年

TOKYO FM取締役事業局長
TOKYO FM音楽出版代表取締役社長
プロジェクトGTF事務局長就任

2006年

TOKYO FM 退任

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